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バンザイクリフ水底に慰霊碑建立
1999年(平成11年)6月8日(火)
2001年8月7日記事改訂

2003年1月26日リンク追加
バンザイクリフの海中に水中慰霊碑を建立したいきさつや作業内容についてまとめたページです。
時間は全てサイパン現地時間です。


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バンザイの水深-13mに建立された慰霊碑
ニコノスで撮影後プリントをデジカメで再撮影
スキャナがないのでこんな画像ですみません
(99/6/9-11時頃撮影)


荒れている事が多いバンザイクリフ。
これは3月の様子。 水中慰霊碑を設置したダイビングポイントは、
画面中央上の方
こちらは1999年6月16日の静かなバンザイの様子
58年前のあの日もこんなに静かだったのだろうか・・・。


<バンザイって何だ?>
今から60年前の1941年(昭和16年)12月8日。日本軍の真珠湾攻撃に端を発した、
太平洋を舞台とする二十世紀最大の戦争は、次々に拡大していった。

アメリカは、日本人は決して降参せず、最後の一人まで戦うと信じ恐れていた。
もしそうなれば、アメリカ側にも多大な損失が考えられ、
それを避けるために日本本土攻撃を決定した。
当時の爆撃機は、アメリカ本土から日本へは燃料補給なしでは飛べなかった。

そのため北マリアナにB-29の基地を造ることが急務となったアメリカ軍は、
当時日本が統治していたサイパンを急襲した。
1944年(昭和19年)6月13日のアメリカ艦隊の艦砲射撃に始まった戦闘は、双方の攻防の末、
わずか2日後の6月15日、サイパンはアメリカ軍の手に落ちた。
日本軍が1年間で撃つ弾丸の量をアメリカ軍は数日間のうちに使ったのです。

膨大な武器・弾薬・物資を背景に攻めるアメリカ軍。
北へ北へと追いつめられた民間日本人(老人や婦女子)

日本に一番近いサイパン島の最北端の断崖。
現地名はプンタン・サバネタ(サバネタ岬)

アメリカ軍の捕虜になるのは恥と考え、アメリカ兵の制止や日本人の
投降呼びかけも聞かずにその海に向かって身を投げるものが続出した。

現在のバンザイクリフ展望台から真下の水面を
飛び込む瞬間に目に入ったものはこのきれいな海
現在陸上にあるサイパン小唄の碑
どんな気持ちで波間に消えた・・・・・


「天皇陛下バンザイ」と叫びながらその崖から飛び降りた犠牲者は1,000名を超える。
(ある記録では、10,000人を超えるとも言われています)
その時の悲痛な叫びを忘れぬように、それ以降ここは「バンザイ」と呼ばれるようになった。

このサイパン戦での総戦死者は、双方合わせて約4万5千人を上回るとされる。
(戦死者比率は、アメリカ1に対し日本10)

アメリカ軍のサイパン島占領の後も、太平洋各地で13ヵ月にわたり戦いが続けられ、
1945年(昭和20年)8月6日サイパンの隣のテニアン島を飛び立ったアメリカ軍機B-29は、
広島市に最初の原爆を投下、その3日後には長崎にも投下し、
日本の無条件降伏の時期を早めたのは有名な話である。

そして1945年8月15日に日本の全面降伏により戦争が終ったのです。

(文中の数字年号などに間違いがあれば、是非 こちらへお知らせ下さい)


ヤシのお勧めリンク 「サイパン島の怒号」

サイパン玉砕直前にサイパンに送られた兵隊の実話。 戦争の悲惨さを知ると共に当時の状況が少しでも分かればと石川県輪島の 正覚寺のHPよりリンク許可を頂きました。 なお残念ながら筆者の多賀氏は2001年に他界されています。 (2003年1月26日リンク)


<事の始まり>
はじめは慰霊碑を展望台から投げ入れるはずだった・・・。
それを知った住職は「待ちなさい。私がなんとかしますから・・・」
ということで始まった話しだそうです。
自らもダイバーの住職は、過去に一度だけバンザイに潜った事がありますが、
職業柄、その時にもたくさんの霊を感じたと言います。

その時一緒に潜った、霊感のない私には、全然感じませんでしたが(^^ゞ
仏教では水面を境に陸上と水中は別の世界だそうですから、
陸上での慰霊だけでは水中の霊は供養されないそうです。
それから知り合いの石屋さんなどにも協力を求め、慰霊碑を作り
設置に向けての具体的な作業が始まりました。
私に協力の要請が来たのは昨年秋で、6月の静かな時期を狙って設置する事に決めました。


日本から運んだ、設置前の水中慰霊碑
出港前のボート上で石碑に魂を入れる儀式
「開眼(かいげん)供養」がおこなわれた。
御影石でできた石碑は約22Kgの重さの
立派なもの(99/6/8-06時撮影)

今回の水中慰霊碑建立は、
自らもダイバーである
東京・蔵前の"浄念寺"第二十六世
石田住職によって行われた。
(99/6/8-06時撮影)





<実際の作業>
場所については、水深13mの水中に突きでた根の付け根付近から
悲劇の場所を向くようにということで、なるべく見渡せる位置を探しました。
また極力水中の環境にも配慮して、サンゴの破壊や水中生物へのダメージを
与えないよう注意したのは言うまでもありません。

場所を決めてからは設置面の地ならしをした後、慰霊碑を水底に降ろします。
まずはボートを作業しやすい位置へ固定しなければなりませんので、
アンカーやロープなどでボートの前後3点を取り、ボートを固定します。
更にボートから設置場所へ最短距離で行けるようガイドロープを渡し、
移動しやすいようにします。
ただでさえ、荒れて流れの強いポイントですから、その場所への往復だけでも結構大変です。

「モノ」が「モノ」だけに、万一落として割れては取り返しはききません。
約22キロもの重さですから、人が手で持ってそのまま潜るという訳にもいきませんので、
布にくるんで保護した状態でメッシュバックに入れ、更にそのメッシュバックに
BCとタンクをつけ、中性浮力を調整しながらまるで人間を降ろすように、
ガイドロープに沿って慎重に降ろしていきました。

慰霊碑の固定には当初、水中センメントを考えていましたが、
ここの流れは半端じゃありませんので、設置しても固定するまでに流れにより
慰霊碑が倒れてしまうのではないかという心配もありました。
セメントは水中に入ると分離する可能性が高く、
また型枠等で作業も大掛かりになる事などを考え
作業のしやすいエポキシ系水中ボンド(パテ)を使いました。
これは言ってみれば粘土のような感じで、約24時間後には完全に固まります。
固まるまでは慰霊碑にロープを取り、まわりの石などと
そのロープを結んで倒れないように固定しました。

設置作業から24時間後の6月9日。
再びバンザイに潜り、水中ボンドの固まり具合や 慰霊碑の向きなどに問題ない事を確認し、 水中写真を撮影して今回の作業を終了しました。


←写真
水中慰霊碑の真上のボートから、
陸上慰霊碑がある展望台方向を望む
(99年6月9日11時頃撮影)


もしバンザイに潜る機会があれば、宗教宗派に関係なく、過去の戦没者の霊を
慰める気持ちが少しでもあれば、是非手を合わせていただきたいと思います。

(もし人に見られるのが照れくさいと感じる人は、
心の中で手を合わせるだけでも十分だということです。)


ご意見、ご感想等は
こちらへお願いします。 清水 靖 (1999年6月16日記)


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